運河から海水があふれ、父と天井裏に逃げる

伊勢湾台風の当時は23歳で、父母、兄弟4人と四日市市の中納屋桶之町に住んでいた。職場は、市内の馳出町という所にあり、普段は単車か電車に乗り 通っていた。中納屋桶之町は、商売屋がなく民家ばかり。職場のほうは、工業地のど真ん中で塩浜地区のコンビナートが広がっている所だった。

台 風の来た前日は、夜の6時ごろ家に帰った。もう風が少し強かった。空を見たら、今までに経験したことのないようなすごい雲の流れで、釣り客を運ぶ渡船業を やっていた天気に詳しい父と話したら、6年前の13号台風の時よりもひどいから、母や下の兄弟たちは近くの納屋小学校へ避難して、父と私だけが家に残っ た。

8時ごろになり、家より50メートルくらい東の所に運河があるが、その運河から海水があふれ出てきた。近所で騒 ぎだしたので、私も外へ出た。その時は、体がぐらつくくらいのすごい風が吹いていて、近所の屋根を見ると瓦が1枚ぱっと飛び、それにつられるようにして、 ほかの瓦が葉っぱのように舞い上がった。いまさら小学校にも行けないので、父と2人家の中に入った。水はどんどん増えてきたので、押し入れの中段に避難し た。もっと増えてくるような感じだったので、押入れの天井裏に布団を放り込んで2人で上がり、下を見ていた。そうしたら、水は床上まで来て、畳、さらに床 の板も浮き上がり、そのうちたんすや本箱がまるでスロービデオを見るようにだーっと倒れてきた。もう本当に悲惨な状況だった。水は相当のスピードでずんず ん上がってきて、押入れの中段より上に来たので、屋根の上に逃げようかと話し合っていたところ、10時ごろに増水が止まり、引き始めたので父とよかったな あと喜んだ。

水は夜の10時半ごろから引きだして、朝の4時ごろには全部引いていた。台風が来たのが、潮が一番満潮 になる時と重なった。中納屋桶之町は40戸くらいあったが、全部床上まで水が来た。いろんな物が流れて来たが、特に困ったのは石油会社にあった半分くらい 油の入ったドラム缶で、けっこう重量があり、家の壁にもたれて来るだけで、水の中なので壁紙が落ちてしまった。そうしていろいろやっている間に夜明けが来 て、母や兄弟たちが帰ってきた。納屋小学校にも水は流れ込んだが、量は少なかった。死傷者がでなかったのは、不幸中の幸いだった。その明くる日からは、後 片付けで大変だった。家の中にヘドロが2、3センチくらいびったり入っていたので、流し出すのに苦労した。災害が終わった後も、潮の満ち引きによって海水 が流れ込んできた。今でもそのときのひどい惨状が目に浮かぶ。普段の生活を取り戻すのに1週間以上かかった。

台風が 過ぎた翌々日、会社に行った。当時、婚約していた妻が同じ会社で働いていて、四日市市の隣にある川越町の南福崎という所に住んでいた。そこは堤防が切れた 所で音信も途絶えていたから、2、3人の仲間と会社のトラックに乗り向かった。途中、川越町を流れる朝明川の堤防で地元の人に会い、昨日までこの堤防にこ もをかぶった遺体がいっぱい並んでいたという話を聞いて、すごい現実だと思った。妻の家まで行ったら、2階まで水が入ったらしいが全員無事だった。妻の家 から30メートルくらい東に行った所は、朝明川が決壊した濁流によって15軒ほどの家が流され、14、15人が亡くなったという。すぐに救援物資が来るよ うな時代ではなく、炊き出しもやったように聞いている。災害に対する関心は今ほど高くなく、被害を受けたら自分で全部片付けなければならないような時代 だった。

四日市市の羽津という所には、海岸に沿った霞ケ浦緑地に遊園地があったが、そこにあった脱衣室が高潮によっ て国道1号線まで流れ着いた。今みたいに防波堤もなかったから、家の中を水が素通りして、ひどい所は押入れの上まで水が来たようだ。この辺りで一番被害が ひどかったのは、川越町の亀崎新田で、同町では何十人と亡くなったと聞いている。

台風が来るという情報は、ラジオで 聞いていた。台風13号の時にひどい目にあっているので、それが一つの経験になり、家の近所の人たちもみんな納屋小学校へ避難した。そのおかげで町からは 死傷者がでなかった。2年前に浸水した経験がなかったら、もっとひどい災害になっていたと思う。

風水害に対しては手 の打ちようがないが、地震については家具の固定や非常持ち出し袋を用意し、食料も蓄え備えている。災害時には家族同士の連絡もきちんととるようにし、避難 する場所も決めてある。皆さん自分の所はこういうことにはならないだろうという安心感を持っているが、実際に災害が来たら本当に惨めなことになる。面倒で も対策は必ずやっておいてほしい。

 

タイトル 昭和34年伊勢湾台風被災証言(四日市市 西脇 秀彦)
概要 当日18時頃帰宅した。そのときはすでに風が若干強く吹いており、空を見上げると今まで見たことのないような早さで雲が動いていた。それを見て渡船業をしていた父親に話したところ、2年前の13号台風より大きい台風かもしれないと、家族を先に近くの小学校へ避難させた。当時、家から東へ50Mぐらいのところに川があり、20時頃にそこから海水があふれ出した。避難しようとしたが、体がふらつくほどの風がすでに吹いていて、他の家の瓦が木の葉のように舞い上がるのを見た。危険と判断し、家に戻った。
タイトル2 ショウワ34ネンイセワンタイフウヒサイショウゲン(ヨッカイチシ ニシワキ ヒデヒコ)
概要2 お名前:西脇 秀彦
性別:男性
年齢(生年):80歳(2016年2月16日現在)
現住所:四日市市
被災時のお住まい:四日市市
被災時の職業・学校など:高圧ガス製造業(四日市→松阪)に勤務。23歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 03月 31日
コンテンツの住所 三重県四日市市中納屋
コンテンツの撮影場所 三重県四日市市馳出町
タグID 床上浸水,四日市市,昭和34年(1959) 伊勢湾台風
コンテンツID 伊勢湾台風体験談・証言

動画に関する詳細情報