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台風上陸前から降り続く雨により、役場に問い合わせのある土嚢の設置要請など、順次対応していた。しかし、次第に問い合わせが増え、さらに各地区から土砂災害などの報告が複数上がってきた。およそ1時間の出来事であった。

台風21号の豪雨災害とよく言われるんですけども台風21号の9月29日でなくてその後になります。雨という事で言いますとその前日の9月28日から降っていました。警報が発令されたのが28日の夜10時頃だったと思います。その頃から強い雨が降っていました。具体的には28日の夜10時ぐらいに時間雨量80ミリほどの雨を記録していると思うんですけども。その後、警戒態勢が始まった分けですが、それからやや小康状態が続きまして、29日の朝方まで10ミリから20ミリぐらいで推移していました。その29日の朝9時から10時にかけて状況が一変しました。

問い:その状況が一変した雨とはどういった雨でしたか?

私は役場の災害担当という事で当時の宮川村役場の総務課におったんですが、当時の朝8時30分にはほとんど危険を感じないような通常の普段の雨でした。9時を越えたぐらいに徐々に町内、当時は村内のあちらこちらから出水の連絡が多くなって来ました。「今にも水が流れ込んでくる」から土のうが欲しいという要請があちこちから入って来ました。その要請にこたえる形で都度都度職員を派遣していたんですけども、9時を回って10時までにはあちらこちらの出水に対応する要望が殺到して人手が足らなくなってしまいました。

問い:当時は何人体制で対応されてたんでしょうか?

本庁の宮川村役場は普段の体制を執っていますので数十人の人員がいるんですけど、各支所は数名、5名から6名で領内地区、大杉地区に派遣していましてその他力仕事に数名派遣していますので二十数名になるかと思います。そういう外で対応する人員が足らなくなっていまいました。
そうこうしているうちに12時頃にかけて災害情報で宮川の支流になる汲谷川の川の水が氾濫したという情報が入りました。過去から見てもこの川の水が溢れるとか山が崩れるという災害が記録になかったものですから「川が氾濫するってどういう事だ?」と信じられない話しでした。これを後から聞くと山崩れで流された流木が橋の橋脚に引っ掛かってそこにゴミが溜まって、橋が自然のダムのようにせき止めてしまったんですね。そこから支流の集落が浸水した状況でした。そういう一報が入ってですね、ほぼ同時ぐらいに今回人的被害にも繋がったんですが、領内地区で10時過ぎぐらいに土石流が発生したと、どうやら民家が巻き込まれて人が中にいたようだ、という情報が殺到しました。一時間、もしくはもっと短い時間に急に今まだ聞いた事が無いような情報が各地から役場の方に入って来ました。まあ、一時間以内の話でしたね。

問い:その時の雨量は記録されていますか?

はい、記録しています。当時の宮川村役場周辺は20ミリから25ミリなんですけども、記録出来ている最も多い場所で時間雨量130ミリですね。ただこの観測所も最後の10分間ほどは欠測になっていますので正確な雨量はもっとあったんじゃないかと思います。とにかく、当時の旧宮川村全体的に100ミリ近い雨で特に役場から上流部は100ミリを越えていたんじゃないでしょうかね。

問い:当時、役場の近辺は20ミリぐらいの雨でその上流部と役場までの距離はどれぐらいになりますか?

100ミリを越える雨を観測した場所とは数キロです。さほど離れていない場所でまとまった雨が降っていました。

問い:実際に現場にいた方はどの様にお話しされていますか?

私も入ってくる情報は言葉でしか聞けないので、これは後からいろいろな人に聞いた話ですけど、宮川というのは川を挟んで北岸、南岸に集落が点在するんですけど川の向かいが見えない、同じ側でも100メートルも離れると雨とか霧でまったく見えない、土石流が発生して家屋が流され、電柱も流されると近くの電線とか電柱が揺すられますよね、でも何が起こったのか見えない。それで近くへ確認しに行くと土石流で集落が埋まっているとか家が流されているような状況だったようです。今、なかなか日常から想像する事が出来ないような状況だったようです。

問い:宮川村の中でそういった地域がいくつ位ありましたか?

災害があった領内地域とか大杉谷地域は背後に山があって数十メートルの幅で集落が建っていて直ぐ前が川なので、どこが危ないという事もなく地域全体が危ないので、あれだけの雨が降った時にどこが安全かと言われるとかなり限られてしまいます。当時も土石流が起こったという情報が入って来て、私達も考えられる範囲で「小学校のグラウンドに避難して!」とか「どこどこへ避難して!」と言うんですが「川の水が直ぐそこまで来ているからダメ!」と言われるんですが直ぐ裏が山でいつ崩れるか分からないんで「雨に濡れたとしても回りが見渡せるグラウンドの真ん中とか災害に遭わない場所に避難してくれ!」としか言えないですよね。どこどこに行けば安全という場所が無いので。

問い:その時考えられる安全な場所にいて下さい!と?

とにかく今の危機を凌いで欲しい、という感じですね。

問い:そいう中で役場の対応はどうされたんですか?

正直対応のしようがなかったです。本来であれば住民の方々を守る、一番頼りになる機関であるべきですけども、全てが後手にまわってしまった。土石流で家屋が巻き込まれるような大きな災害が同じ地区で数箇所も発生している「どこどこで土石流が発生している」「どこどこで山が崩れた」という話しが同じ地区から同時に入ってくるんですね。聞く側は同じ場所と思ってしまうんですが、でも入ってくる情報は同じ地区でも違う場所なんですね、それが先に聞いた災害と同じなのか違う災害なのかその区別も出来ない状況です。

問い:この辺りは元々雨の多い地域だと思うんですけども雨に対する対策、ガイドラインの様なモノは当時なかったでしょうか?

なかったですね。旧宮川村は背後に大台ケ原、南の方は太平洋に面した尾鷲、熊野の位置関係で日本でも有数の多雨地域でこれまでも年間四千ミリ、五千ミリという降水量があって元々雨が良く降る地域で雨に慣れてた、と言うか雨が降っても大丈夫という意識を役場の職員や地域の方々も持っていたのが正直なところです。

問い:土石流で電線なども切れたというお話でしたが、ライフラインはいかがでしたか?

生活の基礎となる水源地も埋まりました。旧宮川村は一番下流部が役場のある扇原地域とその上流の領内地域があってさらに上流部に大杉谷地域があって大きく分けて三つの地域があるんですけども、一番上流の大杉谷地域に行くには唯一の県道しかないんですが、そこが川の増水で決壊しましたので当時の大杉谷地域は300名ほどの方がいたんですが、完全に一週間ほど孤立しました。電線は全て遮断されるし、道路も決壊して通れない状況でほぼ生活物資は県の協力を頂いて防災ヘリコプターで支給していた状況ですね。それ以外の集落も集落間の移動すら出来ない状況でライフラインはほとんど機能しなかったのが現実ですね。災害から一週間程度は。

問い:対応がなかなかとれない中で対応されたと思いますが、今振り返ってみて「こうしておけば良かった」とか「こう対応すれば良かった」とか思う事はありますか?

当時の村長、今の尾上町長の言葉を借りると「痛恨の極み」と言われます。あれからいろいろな方々から指摘されたことで「避難勧告は適切に出されていたのか?」、「出すだけじゃなくて住民の避難の体制は十分だったのか?」とよく言われました。どうだったのか?と問われますと、正直なところ遅かったです、間違いなく遅かったです、災害が発生してから出しても意味が無いので。そういう意味で、避難準備情報だとか避難勧告をもう少し早く出せて、ある程度の方が避難できていれば、犠牲になられた方々がもう少し何とかなったのかな、という気持ちはどこかにありますね。幸い被害に遭われた家族の方も避難勧告が早くに出ていたとしても住民に意識が無かったので結果は変わらなかっただろうな、と言って頂けるのは救いですけどね。

問い:平成16年の台風21号豪雨を受けて、避難勧告等々役場での対策、対応策などは改善されたのでしょうね?

とにかく避難、安全意識を捨てる、これが鉄則ですね。それを踏まえて、何時になったら避難勧告を出すのか?その判断できる手段はどうするのか?それと役場が呼びかけても動いてもらうのは住民の方々なので地域の避難体制を行政組織だけでなく、自治会単位の自主防災組織で避難体制を取ってもらおうという事で啓発にも努めています。幸い今は何かあれば、住民の方が先に動いてくれますし、行政も独自の雨量計なども設置して避難準備情報等を早くに出せるように準備しています。

問い:片上さんは雨が一番ひどかった時間帯に役場に詰めていらした分けですが、その後に災害があった場所に行かれましたか?

私は次の日に行きました。

問い:その目に入って来た光景はいかがでしたか?

話しで聞くのと実際に目で見るのと全然違いましたね。普段は30メートルも40メートルも下にある川、そこを車で走るとですね、橋の欄干に流木の枝が引っ掛かってたりして、これは当時どこまで水が上がっていたんだ、とすごいびっくりしましたね。あちらこちらから災害の情報を聞いていましたけど、いたるところが土砂で覆いかぶされていて走る道が無いんですね、宮川の中流部や上流部は。そういうのを目の当りにしてしてびっくりしましたね。

問い:特にここ数年、日本各地で大きな災害が起こっていますけども、改めて災害時に何が重要だとお感じになっていますか?

まず安全意識を無くして、とにかく早めに避難する事と空振りを恐れないという事ですね。行政の立場からすると「空振りを恐れない」というのがポイントなのかも知れません。それを受けて頂く住民も同じように思って頂く事が大事なんじゃないですかね。「避難したけど何ともなかったわ」とか「行政が避難指示を出したけど何ともなかったわ」など、その空振りでいいんですよ。100回に1回でも本当に災害があった時に悔やんでも悔やみきれないので、そういう事をずっと意識を低くせずに、忠実に、空振りを恐れずに、まず避難、これに尽きますよね。自然災害自体は防げないので、その災害があった時に被害に遭わないようにするか、それだけですね。

タイトル 平成16年台風第21号豪雨体験談映像(大台町 片上 高志)
概要 台風上陸前から降り続く雨により、役場に問い合わせのある土嚢の設置要請など、順次対応していた。しかし、次第に問い合わせが増え、さらに各地区から土砂災害などの報告が複数上がってきた。およそ1時間の出来事であった。
タイトル2 ヘイセイ16ネンタイフウダイ21ゴウタイケンダンエイゾウ(オオダイチョウ カタガミ タカシ)
概要2 お名前:片上高志
ご住所:多気郡大台町
発生時にいた場所:大台町役場
当時の年齢:
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2017年 12月 06日
コンテンツの住所 三重県多気郡大台町佐原
コンテンツの撮影場所 三重県多気郡大台町佐原
タグID 大台町役場,平成16年(2004) 台風第21号・土砂災害,多気郡 大台町
コンテンツID 平成16年台風第21号豪雨体験談

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