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火災発生との情報から地元の消防団員として、出動要請を受けた。数メートル先が見えないような雨の中、現場に向かうと土砂災害が起きていた。煙に見えたのは土煙だったのではないか。取り残された人を救出するため、警察、消防などと連携し対応にあたった。

問い:当時の雨の様子から教えて下さい。降り始めは何時頃でどのように変化していったのでしょうか?

10日ほど前から小雨が降り続いていまして、28日ぐらいから雨がだんだん強くなって来ました。当日の朝方にピークを迎えたと記憶しています。

問い:ピークの雨はどのように感じましたか?

ピークの雨は10m先の視界が無いくらいでしたかね。

問い:例えば明るさだったり音だったりその辺りはいかがですか?

明るさはあまり記憶が無いのですが、薄暗くしていたかと思います。音は、車の中にいても車に打ちつける音がうるさくて隣の人と会話し辛いぐらいな状況でした。

問い:通常の雨とはちょっと違うな、と思われる点はありましたか?

やはり視界がほとんどなかったという事と普段水が出ていないようなところから道路へ水が溢れ出ていたという記憶があります。

問い:どこで、どんな被害に遭われたかを詳しく伺っていきたいと思いますが。

29日の朝に火災と言う事で地元の消防団に声が掛って滝谷地区の方に消防車で出動しました。その時に到着した現場が既に土砂災害の被害を受けている状況で、これは火災ではなくて豪雨災害なんだと認識した記憶があります。で、再度出直しと言う事で戻ったんですけどもその時の道が行きと帰りで全く違いました。道に大きめの石が転がり出して来ていてもう直ぐ通行できなくなると不安に思った記憶があります。

問い:実際、一旦戻って仕切り直して再度出動したんですか?

役場に災害対策本部が設置されて消防団、消防と連携していまして、そちらから仕切り直しの指示を受けて出動した記憶があります。

問い:どちらに行かれて、その場の状況はどうでしたか?

滝谷地区の被災状況を確認してから小滝地区、唐櫃地区の宮川を挟んで南岸北岸を渡す橋の上に崩落した土砂が流出いていて通行不可になっているというところでそちらの場所に向かった記憶があります。

問い:道中はいかがでしたか?

道中は初めての経験だったのでドキドキしながら向かいまして、民家が土砂災害で被災されていまして区長さんや地域の方々から「その家におばあちゃんが取り残されてるよ」と聞いた記憶があります。

問い:その場ではどのような行動をされたのでしょうか?

その場に消防の方、警察の方、役場の方、僕ら職員を含めて15人から20人ぐらいいました。もう家が半壊して傾いているので中へ入れないと言う事で、僕らは仕事柄、チェーンソーを使う事が多いのでそれを使って家屋の中に入れるように柱などを切断して家屋の中に入っていった記憶があります。

問い:家の中はどのような状況でしたか?

ぐしゃぐしゃに入り乱れていた中の僅かな空間から女性の声が聞こえた時にまだ生存されていると言う事で全員で救出活動をした記憶があります。

問い:救出の様子と言うのは具体的にどのように進めたか教えて下さい。どんな声を掛け合って、とか?

確か消防の方がいて専門的な知識を持っておられるんで、そういった方々の指示を仰ぎながら、二次災害もあるので冷静に対応して、かつ迅速に対応した記憶があります。

問い:二次災害が起こらないように慎重に救出されたわけですね、その時の心境と言うのは?

そういった経験が初めてだったので「人の命の大切さ」と言うんですかね、この状況で誰かが何かしないといけない、という気持ちを持ったのがまずあります。通常の消防団の訓練とか年に数回するんですけども、それとは違って実際に災害が起きてみると想定していなかった事が起こるんだ!と感じた事を鮮明に記憶しています。

問い:想定していなかった事とは具体的にどんな事ですか?

例えば、家屋の中に入っていく時に柱を一本切らないといけない時にそれを切ってしまうと家が倒れてしまうんじゃないか?という心配があります。その様な心配があった時に構造的な検討をしている時間猶予があるのか?時間と二次災害のリスクとの葛藤の間の中で動いていかないと難しいと思います。安全だけを考えると前へ進めなかったという状況だったと記憶しています。

問い:安全性と迅速さと両方を求められる中で女性を発見されてその後はどうされましたか?

消防署の方が中心になって中へ入られて女性の方を引き出す作業をしたんですけども救出する為には何人かが中へ入るスペースが必要になってくるのでそのスペースを確保するための作業をした記憶があります。

問い:その女性の方はけが等も無く無事でしたか?

そうですね。元気に受け答えしていましたので。その後、救急車で運ばれましたが大丈夫だったと思います。

問い:消防団員としての活動は29日からどれぐらい続けられたんですか?

一ヶ月ぐらい続きましたかね。一ヶ月ぐらい続いた記憶があります。

問い:どの様なことをされましたか?

最初は公共道路に倒れている樹木を撤去するにあたっての対応という事で、倒れている木をチェーンソーで切ったりしていた記憶があります。きっちり車が通れるようになった段階で自衛隊さんとか県警さんとか消防の方々と連携しながら行方不明者の捜索を継続して行ったと思います。

問い:そういった事を一ヶ月ぐらい?

そうですね、中には空いた日もありますが、期間としては一ヶ月ぐらいと記憶しています。

問い:消防団と消防、あるいは他県の警察等々の連携はどのように感じましたか?

たくさんの人が関わっていましたので各組織できっちり捜索範囲と捜索方法を決められて災害対策本部へ上げて適切に一個づつ潰していくと言う様なやり方で非常に連帯感があった捜索だったと記憶しています。

問い:災害時の救助だったりその後のサポートだったりそういったところで向き合っている時とご自宅で一人になった時はお気持ちが違うと思うのですが、そういった時の不安ですとか困った事はありますか?

普段の生活で困った事の一番は水だったと思います。断水はかなりの期間していましたので。特にココは避難所になっていましたので、ご高齢の方とかがいらっしゃた時に一番困られてたのが水だと思います。私も困っていましたね。

問い:その他の電気や電話はいかがでしたか?ライフラインは?

電気はそれほど長い期間停電する事はなかったですね。やはり水が一番長かったと思いますね。

問い:今回こういった災害が起こって、山とか森林、川、河川に対する意識は変わりましたか?

山の崩れ方は表層崩壊と深層崩壊とありますが、ほとんどが深層崩壊という形で地面の深くから崩れてしまうモノです。僕らは森林の仕事をしていますので表層の木を植えたり切ったりして販売したりして生活しているんですが、生活させてもらっている森林資源が一旦豪雨災害になってしまうと橋梁なり、家屋なり、道路なりを壊してしまう大きな要因にもなるんだなと強く感じましたね。

問い:林業に従事されている方もたくさんいると思いますが、そういった方たちが元の生活に戻るまでにずいぶん時間もかかったんでしょうね?

かかりましたね。当然温度差はあるんですけども長い方で2ヶ月、3ヶ月かかられていたんじゃないですかね。

問い:こういう被害が起こるという事は感じていましたか?

いいえ。今回の災害の前は、この辺りは全国でも有数の多雨地帯で沢山雨が降っても大丈夫な地域なんだという認識が私も含めて住民の一般的な認識だったと思いますけどね。沢山雨が降っても大丈夫だという気持ちを持ってたところに、想定以上の雨が降って被災したと。被災するかもしれないという気持ちを危機管理的な事を把握してその為の準備を備えていれば良かったのかなと思いますので、この豪雨災害の反省としてこれから暮らしていきたいと言うのが一つです。それと、僕らの生活の糧となっている森林資源が災害を拡大する要因の一つにもなっているんだという事も改めて目の当たりにしましたので適切な森林管理も併せて深く考えていかないといけないと思いましたね。

タイトル 平成16年台風第21号豪雨体験談映像(大台町 岡本 宏之)
概要 火災発生との情報から地元の消防団員として、出動要請を受けた。数メートル先が見えないような雨の中、現場に向かうと土砂災害が起きていた。煙に見えたのは土煙だったのではないか。取り残された人を救出するため、警察、消防などと連携し対応にあたった。
タイトル2 ヘイセイ16ネンタイフウダイ21ゴウタイケンダンエイゾウ(オオダイチョウ オカモト ヒロユキ)
概要2 お名前:岡本 宏之
ご住所:多気郡大台町
発生時にいた場所:勤務先
当時の年齢:
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2017年 12月 06日
コンテンツの住所 三重県多気郡大台町佐原
コンテンツの撮影場所 三重県多気郡大台町不明
タグID 消防団,火災,平成16年(2004) 台風第21号・土砂災害,多気郡 大台町
コンテンツID 平成16年台風第21号豪雨体験談

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