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多気町長谷地区の消防団員として、近隣の住民の方へ避難所への避難を呼びかけた。避難所である公民館には十数名が避難していた。降り続く雨で二次避難の可能性を考え、倉庫へ発電機と投光器を取りに行った。避難所へもどったところで、土石流が轟音とともに公民館へぶつかった。

台風が来たのは平成29年の10月22日ですが、10月14日から一週間ほどずっと降っていました。

問い:14日からの降り始めでずいぶん長いなぁ、という印象ですが雨が強くなるまでの間に特に注意などはしていましたか?

秋には雨が降るのでテレビで状況を確認していましたが、そんなに深くは考えていませんでした。

問い:雨の強い時間帯、どこでどなたとご一緒でしたか?

朝からずっと家に居て家族とテレビで台風情報を見ていました。役場から、三重県へ雨雲がやって来て外を見ると凄い雨になっているということで、一日中テレビを見ていましたね。

問い:役場から電話があったのですか?

電話ではなくて役場から避難準備や避難勧告が出ましたので大変な事だと思って雨雲レーダーを皆で見ていました。

問い:実際に避難はなさったんですか?

私は長谷地区の自主防災会の代表をしているので準備のために消防団や区長さんと相談しながら待機している時に避難勧告が出ましたので長谷地区の集落の方々に手分けして各戸を訪問して避難を促すと共に安否を確認しました。

問い:避難はどちらにどれほどの方がされたのでしょうか?

避難場所は長谷公民館なのですが、古くから住まわれている方々は自宅避難を希望されたので各戸に確認しながら避難所に向かいました。

問い:何世帯の方が公民館に避難されたのでしょうか?

公民館は13名です。

問い:皆さんが避難された時の雨の状態はどうでしたか?

今までにないような振り方でした。当日は選挙でしたので皆集まってテレビで選挙速報と台風情報を見ながら昔話などしていました。

問い:昔話というのはやはり災害のお話ですか?

昭和46年に結婚したのですが、ちょうどその秋に大きな災害がありまして私たちが住んでいる山の中腹から大きな根がついた倒木が川を塞いで浸水災害がおきまして、家内もびっくりしましたし復旧にも時間がかかりました。
その様な話しをしていた時、夜の10時頃に大きな音がした!と家内が言いました。

問い:その音とはどのような音だったのでしょう?

「ゴッー!!」と言うか、私は「雷が鳴ったのでは?」とか「飛行機が飛んだ」とか言ってました。が、心配になって一人で公民館の外へ出ました。やはり凄い雨で公民館の回りを歩いたら川は沢山流れてそれほどでもなかったのですが、普段流れない小川や田んぼからも水があふれるように流れていました。これは、いつもと違うと感じていたところ、公民館の電気が切れました。今回抜けた場所に電灯線が走っていて、それが切れて火花が散っているのを見て、そこで山が崩れて電線が切れたんだろうと思いました。そうこうしていると5分ほどで電気が復旧しました。これは二次避難をしなければいけないのでは?と思いました。もし、公民館に人を集めるのであれば、電気を確保しなければと思い、消防団の若者二人と一緒に投光機と発電機を取りに行きました。

問い:それは、どこまで取りに行ったのですか?

公民から100mほどの近くの小屋へ取りに行きました。
そして、公民館へ戻ったところ様子が大きく変わっていました。

問い:どのように変わっていましたか?

大きなモノが流れてきていて、公民館のガスボンベとか消防小屋にあったポンプとか流れて来ていました。

問い:流れているというのは「水」ですか?それとも「土砂」ですか?

「水」と「土砂」でしたね。

問い:その時公民館に避難されていた13名の方はどうされましたか?

その時にはほとんど二次避難していました。

問い:どちらに避難されていましたか?

少し離れた高台のあるお宅へ避難していました。公民館に残ったのは自分だけでした。せっかく発電機を下してエンジンをかけたのですが、エンジンを切りに行った時に「ドンッ」という音と共に流木が公民館に突き刺さりました。
上から「早く逃げないと死ぬぞっー」という呼び声が聞こえていました。「ドンッ」という音共に公民館が1mほど押されて自分の方へきました。間に軽トラックがあったので3mか4mは離れていたのですが、あの音と向かってくる建物をみて「ワッー!」と思いました。状況は分かりませんでしたが、街灯も点いていたので高台の皆が避難している所へ逃げました。
その後、家へ帰れる人は帰ってもらい、消防団と自主防災会の役員はそこで様子を見届けていました。朝起きたら姿形が変わってびっくりするような状況になっていました。

問い:次の避難所というか、あるお宅で状況を見られていた訳ですが、一番不安に思われたのは何でしょう?

田んぼや畑は埋まりました。公民館も大木で押し流されましたが、今住んでいる場所に水や土砂が入っていない事が確認できて安心しました。

問い:それで皆さんもれぞれの自宅へ帰られたわけですよね。ご自宅は大丈夫と確認して帰ったのでしょうか?

そうですね。この長谷地域は昭和46年の時に川筋が土砂災害の危険な場所なのでそれを避けて尾根筋に家を建てている。やはり昔の人の「知恵」というか経験をしながら暮らし向きをたてて来て、今があると思いました。

この間もお年寄りに怒られました。(苦笑)「避難せー!」と言われたが、「そんなもん、家に居る。誰が公民館なんかに行くかー」と。経験者の方々は分かっていたようです。

問い:長谷地区の皆さんの道路状況等々も含めていつ頃まで復旧にかかりましたか?

一週間後にまた台風がくる事が分かったので土砂や倒木の除去を急いでもらいました。急いでもらったおかげで二次被害、三次被害は出ませんでした。

問い:では、一週間ほどで?

次に台風が来るまでいに大方の道路も通れるようになりました。水道に被害は無かったのですが、ポンプ場に土砂が入ってしまったモノも役場の方々に除去してもらいました。水も以前と同様に使えるようになって安心しました。

問い:改めてこの様な自然災害に対して何が一番重要だと思われますか?

一番重要なのは情報で雨の量や台風の進路をきちっと掌握する。それから、この筋だとどんな災害が起こるか、という情報を皆で共有しなければいけないと思います。

問い:新たに意識が変わられた所はありますか?

災害を受けて復旧する際に孫が「二度ある事は三度ある。そんな所はかなわん」と言いました。ただ長谷地区はイエローラインとレッドゾーンに囲まれて適地がありません、これから皆で協議しながら復興になると思います。けれど、国の方から激甚災害になって、二度と起こらないダムを造る、ということで一つ前向きになったと思います。

タイトル 平成29年台風第21号体験談映像(多気町 逵 昭夫)
概要 多気町長谷地区の消防団員として、近隣の住民の方へ避難所への避難を呼びかけた。避難所である公民館には十数名が避難していた。降り続く雨で二次避難の可能性を考え、倉庫へ発電機と投光器を取りに行った。避難所へもどったところで、土石流が轟音とともに公民館へぶつかった。
タイトル2 ヘイセイ29ネンタイフウダイ21ゴウタイケンダンエイゾウ(タキチョウ ツジ アキオ)
概要2 お名前:逵 昭夫
ご住所:多気郡多気町長谷
発生時にいた場所:公民館(避難所)
当時の年齢:
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2018年 02月 26日
コンテンツの住所 三重県多気郡多気町長谷
コンテンツの撮影場所 三重県多気郡多気町長谷
タグID 土石流,公民館,平成29年(2017年)台風第21号,多気郡 多気町
コンテンツID 平成29年台風第21号体験談

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