当時、熊野市立飛鳥小学校の教頭を務めていた。台風による川の増水で、学校が浸かっていると給食調理員の方から連絡を受けた。しかし、主要な道路は通行止めとなっていたため、校長と地元の道に詳しい方と一緒に、和歌山・奈良を通ってなんとか学校にたどり着いた。

問い:当時先生はどちらにお勤めでどのような状況でしたでしょうか?

熊野市の飛鳥小学校の教頭をしておりました。

問い:飛鳥小学校も被害にあわれたんですか?

そうですね。道路が塞がって情報も無くて行けなかったんですが、学校が浸かったと言う連絡を地域に住む給食調理員さんからもらいまして、ただ道も通れずに不安に思っていました。

問い:連絡をいただいて学校が大変な事になっていることを聞いた後、どれぐらいのタイミングで学校へ行こうとしたのですか

その時点で国道が全て止まっていて復旧次第行こうとしていたのですが、校長から電話がありまして「飛鳥の方に行く詳しい人がいるので後について一緒に行きますか?」と言うので私も311号線を熊野まで走ってその方の後について飛鳥小学校まで行きました。

問い:どういったルートで通られたんですか?

熊野の道の事があまり分からないんですが、熊野市を越えて山の中に入って出てきたカンバンに和歌山とか奈良とかの票が出て来て、今どこを通っているのかな?と思っていたのですが、行く先々で被災した地域がありまして畳を出していたり、木々が道を塞いでいたり橋が無かったりしている所があって地域全体が大変な事になっているなと思いました。

問い:先生が住まわれてたところから普段はどれぐらいで学校まで行くんですか?

そうですね、30分から40分あれば行きます。

問い:ルートはどういうかたちでいきますか?

まだ高速が通ってなかったので、国道42号でやのこ峠を越えて飛鳥まで行きました。

問い:学校へ着かれたら学校はどのような状況でしたか?

もう水に浸かった後なのでモノが散乱して、机やら冷蔵庫やらいろいろな物がごちゃごちゃになってました。

問い:教室の中なり、運動場なりは色とか臭いはどうでしたか?

小学校の校舎は子供たちが学ぶ教室は二階以上なので良かったんですが、浸かったのは机の下辺りまでで教室は良かったのですが、飛鳥小学校はまだ汲み取り式のトイレも浸かってその汚物が全部運動場に流れました。給食も自己給食だったので全て、そういう水が流れたので全てのものがそのままでは使えない事になりました。

問い:近くに大又川が流れているんですね。その川と水が浸かった関係はどうですか?

大又川が学校のそばを蛇行していまして、水が一気に溢れ出たのか削られて溢れ出たのだと思います。実はその後二週間後ぐらいに大雨の時に学校にいたんですが、その時に校舎から大又川を見ると水がどんどん増えて大きな材木がどんどん流れて、ちょうどぶつかってどんどん増えて行くんです。今度もまたモノを上げないといけないのか思うぐらいの事を体験しましたので、もっと当日の雨は凄かったのだと思いました。

問い:小学校は何名ぐらいでしたか?

当時で3校が合併しましたので、45人いないぐらいでした。

問い:トイレも汲み取り式で給食室も近くて消毒などが必要になったと思いますが、そのあたりはどうでしたか?

とにかく次の日は国道が通れたので行ったのですが、まだ水道は通ってなくて電気も無くて学校は休みにしたんですが、子供達は水が治まった川で水浴びをしたり、地域の方は洗濯をしていました。電気も二晩通らなかったので子供らは電気のない生活を2日ほどしていたと思います。その後電気も点くようになって学校も復旧したんですが、まずは給食室の床をきれいにするため教育委員会にも来てもらって汚物も消毒してもらって、運動場も地域の方に重機を使って剥いでもらいました。

問い:ちょっと落ち着いたと思ったのはどれぐらいですか?

そうですね、初めは給食室も使えなくてパンと牛乳のだけで給食で、給食が始まったのが二週間ほどしてからでしたね。

問い:実際父兄の方々も被害に遭われているんですよね?

そうですね、橋も壊れたので、何時もそこを通って通ってた子供達も大回りして毎日通っていました。

問い:父兄の被害の状況は把握されてましたか?

そうですね、学校は一番低いところにあるので、保護者から後で聞き取り調査をしましたが被害は出ていなかったようです。飛鳥小学校が一番被害に遭ったと思います。ただ、地域の方は電気、水道、電話がしばらく止まったので不便な生活はいていたと思います。

問い:ライフラインが復旧したのは何時ごろでしょうか?

電気は二日後ですかね。水道は電気と同じぐらいです。電話はもっと遅くて三、四日よりも遅かったと思います。

問い:災害時には電話もつながらなかったと思いますが、子供達の安否確認はどのようにされましたか?

直ぐには出来なかったのですが、私と校長で地域を車で回れる範囲を回って確認させてもらいました。

問い:23年の12号台風をうけて、何か対策などを見直した事はありますか?

片付に追われて直ぐには出来なかったのですが、やっぱり水の来ない山に逃げる事と橋も壊れたので安全な通学路を子供たちとも際確認しました。

問い:この数年、雨の降り方も尋常じゃないですが、何時起こるか分からない自然災害ですが、改めて何が一番重要だと思われますか?

予測できない大雨になる事があるので、ます状況を把握して咄嗟の判断が出来るように事前準備をする必要があると思います。自分の命を自分で守るという事だと思います。例えば学校ですと、避難訓練をしたんですけども地域で遊んでいる子供達は教職員よりも地域を良く知っているので、大人がココと言ってもそれに意見が言えるように、自分の命は自分で守るという意識を持てるようにする事だと思います。

タイトル 平成23年紀伊半島大水害体験談映像(尾鷲市 内山 志貴子)
概要 当時、熊野市立飛鳥小学校の教頭を務めていた。台風による川の増水で、学校が浸かっていると給食調理員の方から連絡を受けた。しかし、主要な道路は通行止めとなっていたため、校長と地元の道に詳しい方と一緒に、和歌山・奈良を通ってなんとか学校にたどり着いた。
タイトル2 ヘイセイ23ネンキイハントウダイスイガイタイケンダンエイゾウ(オワセシ ウチヤマ シキコ)
概要2 お名前:内山 志貴子
ご住所:尾鷲市野地町
発生時にいた場所:自宅
当時の年齢:
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2018年 03月 06日
コンテンツの住所 三重県熊野市飛鳥町野口
コンテンツの撮影場所 三重県尾鷲市野地町
タグID 飛鳥小学校,熊野市,平成23年(2011)紀伊半島大水害
コンテンツID 紀伊半島大水害体験談・証言(映像)

動画に関する詳細情報