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昭和19年、小学校1年生の時に東南海地震を経験し、近所の人と必死で山に避難しました。津波の引き波で魚等が、露出していた。父親が船をロープで固定中に二波目の津波。水は天井まで来ていて、船は打ち上げられたまま放置されてました。

問い:ご自身が昭和19年の昭和東南海地震を体験されたということですか?

はい。僕は津波の時に避難したのは叔母の家ですけども。今でも地震の後に余震が来ますよね、その時は一年ぐらいでは済まなかったと思います。余震が起きる度に裏山の62段ある石段を上って避難していました。2階建の家に避難していて地震が来る度に野積みの石垣が崩れて来るんじゃないかといつも思っていた。

問い:東南海地震はどこで体験されたんですか?

東南海地震はここです。場所は同じで古い家です。

問い:建物は当時と違うんですね?

全然違います。2階建じゃないですし、当時は2階建は少なかったです。

問い:当時地震が起きた時は山下さんは家の中にいたんですか?

そうです。家の中にいた時に地震がありました。

問い:どんな感じでしたか?

どんな感じ?というか、何が起こったか分からなかったですね。地震と言う事も知らないし、津波と言う事も知らないし。その当時は情報もITとかも無いですし、一年生なので学校でも習わないですし。

問い:1年生の友達3人といたんですか?

3人で一緒にいた時にグラグラと来てそれぞれ家に逃げたんですよ。

問い:どんな感じで揺れたんですか?

あそこは2階建だったので凄い揺れたんですよ。

問い:揺れたのが分かるような?

そうそう、そうですね。何が起こったか分からんですからね。

問い:家具が倒れたりとかは?

そこは雑貨屋をやってたので全部落ちましたね。

問い:大きな揺れが来る前に小さな揺れとかはなかったですか?

それは覚えが無いです。かるたしてる時に突然揺れました。

問い:それぐらいの時間揺れてましたか?

揺れている間に家へ逃げ帰ったはずなんですよ。逃げている間も揺れてたと思うんですけど、それは覚えが無いんですよ。川を渡って。。。

問い:家の前が川だったんですか?

そうです。家の前は川だったんです。島勝には大きな川が2本あって今では全部埋めてあります。全国的にも珍しいはずです。

問い:その川で何かあったんですか?

素人の作った橋があって家へ戻ったら親父がいて位牌を取りに行ったんでしょうね。そして橋へ海の方を見に行ったら「津波~!」と大きな声で叫んでました。僕は地震も分からんし、津波も分からん、何も分からんので何をしたかは覚えていないです。怖いだけで何も覚えがないです。

問い:周りの人はどうでしたか?

周りの人も全然覚えが無いですよ。

問い:お父さんが「津波!」と言ったあとはどうしましたか?

親父が「津波!津波!」と声をかけて山に逃げたんだと思うんですよ。「津波!津波!」と言う声は覚えているんですけど。。。

問い:津波はご覧になりましたか?

親父と津波に追われたわけですよ。親父と小川の細い道を山の方へ逃げた時に津波が上がってきて足を浸けた状態で逃げたんです。

問い:山に逃げたのは他の人たちもいたんですか?

そう、もの凄くたくさんの人がいました。そこの山にね。あちこち逃げる山はあるけど、そこの山が近いので行ったんですよ。

問い:かなり険しい山ですよね?

だから道が付いているんですよ。

問い:当時も道はあったんですか?

ありました。家も二軒ありました。そこに避難していました。

問い:そこにどれぐらいいたんですか?

それが時間は分からないけど、そこから見ていたらら裏の家が流れて家と隣の家の間に引っ掛かったんですよ。それを見ていました。
最初そこに逃げたんですけど、凄い引き潮で水が引いたんですよ。

問い:直ぐ潮は引いたんですか?

だいぶ長い事、潮はあったんですが。引いた時にここの桂城湾の底が見えたんですよ。

問い:海の底が見えたんですか?

山の上から海の底が見えたんですよ。その潮が引いた時に親父が僕の手を引いて50m、100m先にある叔母の家へ逃げたわけですよ。今は、石垣しかないけど一番高い所の家だったので。
その逃げた間に大小の生きた魚や薩摩イモなどがごちゃごちゃと落ちていました。

問い:それで叔母さんの家まで逃げたんですね。津波は第一波だけでしたか?

第二波がありましたね。第二波の時に親父は僕を置いて自分の船を舫(もや)いしに行ったわけです。そしたら津波の第二波が来ました。その時親父は乗っていました。

問い:船に?それで、どうされたんですか?

いや。。もう涙が出て言えない。。。恐ろしいです。
まあ、第二波が来て、親父が乗っていた、まああかんなと思ったら、まああの人は凄い人やと思ったけどね。今でもびっくりしています。

宮さんのところで川が二手に分かれるんですけどそこまで船が上がってましたからね。この辺でだいたい天井ぐらいまで水が入ったんですかね。

問い:津波が引いてから家に戻ったんですか?

もう家には戻らなかったと思います。覚えがない。。。戻った時には中二階の物置とかぐちゃぐちゃになっていて家は使い物にならないようになっていました。天井も無くなっていた家も多かったですよ。だから水が来たのは天井ぐらい、船は宮さんのところまで上がってましたね。その後ずーっと、漁港の前に親戚の家だがるんだけどそこの前の屋根と屋根の間に船が乗っていました。

問い:乗っかったまま置いてあったんですか?

当時はクレーンも無いしとる術がないので乗っかったままずーっと置いてありました。いつとったのかもわからないぐらい。

問い:町の様子とか近辺の様子はどうでしたか?

もう何もかも無かったですよ。

問い:他に何か東南海地震で覚えている事はありますか?

東南海地震で一番覚えているのは、津波が引いた時の海の底、これだけ。小さい頃から魚を釣っていたので何メートルか分かりませんけど。

問い:津波が引いた時はどれぐらい遠くまで引きましたか?

もう湾が無くなったから30m以上引いたわけですよ。この湾に一切水がなかったんですよ。

タイトル :昭和19年東南海地震 体験談(紀北町 山下)
概要 昭和19年、小学校1年生の時に東南海地震を経験し、近所の人と必死で山に避難しました。津波の引き波で魚等が、露出していた。父親が船をロープで固定中に二波目の津波。水は天井まで来ていて、船は打ち上げられたまま放置されてました。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンダン(キホクチョウ ヤマシタ)
概要2 お名前:山下
性別:男性
年齢(生年):小学校一年生
現住所:北牟婁郡紀北町島勝浦
被災時のお住まい:北牟婁郡紀北町島勝浦
被災時の職業・学校など:小学校一年生
公開レベル 公開
出典 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2018年 10月 23日
コンテンツの住所 三重県北牟婁郡紀北町島勝浦
コンテンツの撮影場所 三重県北牟婁郡紀北町島勝浦
タグID 島勝浦,津波第二波
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(映像)

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