あの日、暖かい冬日和。学徒動員で江戸橋の倉敷紡績にいました。お昼を終え雑談をしていた時です。異様な音と共に足元がグラッと揺れた途端大きく揺れ始めたのです。誰かが「地震だ」と叫ぶと一斉に職場から走り飛び出す人人。青空の中に建物が左右に大きくゆれ動き今にも倒れそうな中、狭い通路を走りました。少しでも広い場所を求めてやっと中庭の防空壕の上に倒れ込んだ頭上から窓ガラスの破片がふりかかり恐怖のあまり声も出ませんでした。やっとの事で広場に集まったのですが、皆顔は蒼白、震えているばかりでした。
工場内はあちこち地割れが出来、寮は「くの字」に曲がり半壊し入る所ではなく、交通はストップ、仕方なく夜道を松阪の学校へ歩きつづけました。何1つ情報もなく、津の町ではペチャンコになった家もありましたが、津波が来なかったのが何よりでした。情報がない事は余計に不安になりました。その頃尾鷲では津波で沢山の人が犠牲となったと聞きました。遺体が浜に並べられていたとの事も後に聞かされました。

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(多気郡多気町 村田 亘子)
概要 江戸橋倉敷工場で授業中に地震が発生。建物が大きく揺れ、狭い通路を走り中庭の防空壕の上に倒れ込んだ。頭上から窓ガラスの破片がふりかかり、恐怖の余り声も出なかった。工場内は地割れが出来、寮はくの字に曲がり半壊で入れず、交通はストップ。夜道を松阪の学校へ歩き続けた。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(タキグンタキチョウ ムラタ ノブコ)
概要2 お名前:村田 亘子
ご住所:四日市市
発生時にいた場所:津市江戸橋倉敷工場
当時の年齢:15歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 村田 亘子
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県津市江戸橋
コンテンツの撮影場所
タグID 江戸橋,倉敷紡績,津市,昭和19年(1944) 東南海地震
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

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