当時友達20人位と遊んでいた。
横に揺れ出し、1人では立っておれなくて、友達と肩を支え合って地震の揺れが止むのを待った。揺れが止んで自宅へ走った。母から兄と二人で先に逃げるように云われて、町の男の大人の人達が津波が来るから逃げよと云われ、小学校へ急ぎました。途中、せまい路地を通ったが家屋の倒壊などもなく、スムーズに歩けた。
母は布団を取り入れて、雨戸を閉めてから逃げてきたと云っていた。
逃げる途中なにげなく後ろを振り返ると、水煙と土埃が立ち上がる中を大きな船(貨物船?)が海の方から奥の方へ、家の屋根の上を突走るのを見ておどろいた。
小学校の裏山に逃げると近所のおじさんが「お前の家の近くの娘3人姉妹が歩いて逃げてきたが水が増えて歩けなくなったのか、お前の家に入った」と云っていた。後で聞いたことだが、その3人の娘たちが我が家と思われる家から発見されたという。
津波がおさまったとのことで、小学校の教室に入った。その頃から、津波に流されてブルブルふるえる女の人が運ばれて来た。亡くなった人も運ばれてきた。その夜は親子3人、床の上にごろ寝した。民家の90%くらいが流され、64人が亡くなったと記憶している。津波の後の食事は水につかった米で炊いた臭い、小さいにぎりめしを子どもは一日一個だったと記憶している。
津波のあとの支援ほとんどなかったように思う。後で知った事だが、災害の報道を軍部が押さえたと云う。体験者であっても事実はほとんど知らされていない。

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(津市 山越 仁一)
概要 友達20人位と遊んでいたところ、横に揺れだし一人では立っていられなくなり、友達と肩を支え合って揺れが止むのを待った。揺れが止んで自宅へ走った。母から兄と二人で先に逃げるよう言われ、町の大人の言う小学校に急いだ。母はふとんを取り入れて雨戸を閉めてから逃げてきた。逃げる途中振り返ると、大きな船が家の屋根の上を突っ走るのを見ておどろいた。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(ツシ ヤマコシ ヒトカズ)
概要2 お名前:山越 仁一
ご住所:津市
発生時にいた場所:大紀町錦(つき地)
当時の年齢:12歳(小学校6年生)
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 山越 仁一
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県度会郡大紀町錦つき地
コンテンツの撮影場所
タグID 昭和19年(1944) 東南海地震,度会郡 紀勢町
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

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