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父と雨戸を押さえ、力を合わせて家を守る

伊勢湾台風が来た当時、住まいは度会町の棚橋という地区にあり、内城田小学校の6年生だった。両親と父の弟の叔父と4人で暮らしていた。町の中は住宅と田園が広がり、建物は木造が多かった。棚橋には今300軒くらい家があり、当時も200軒以上あったのではないか。

台 風のことは、当日吹いてきてからの夜半のところしか覚えていない。ものすごい大きな台風が来るぞと言われていたのは覚えていて、弱いところのある木造の家 だったから、父親に早く防護をしてほしいと言ったのは記憶している。父親はいつものようだから大丈夫、そのときになってやればいいと言っているうちに、風 が強くなってきた。これはいけないと父親が動きだしたのは、かなり風速が増したころだと思う。大工だった父親は、雨戸を補強するための材を納屋に入れてお り、家の裏にある茶園の中を走り、納屋から材を担いで戻ってきた。雨戸が飛んで、強風が家の中を抜けてしまわないよう、父親は外側から、私は内側から雨戸 を持った。このような経験は初めてだった。

台風の風には強弱のリズムがある。強い風が来た時は、雨戸を構えて防御す るが、1回吹いて終わると、引き潮みたいに雨戸を引っ張っていく。だから押して来たら押し返し、引いたら引っ張る。その繰り返しのうちにタイミングを覚 え、その間に父親が材で戸の外と内を挟み、針金を通して縛り固定した。雨戸が抜けて裏まで飛んでしまうのではないかと、どきどきしながらやった記憶がもの すごく焼き付いている。父親と叔父、私のみんなで力を合わせてやった。父親が家の中に戻ってきた時は、ほっとした。これで仮に家が倒れても、家族一緒だと いう思いがあった。

12時をまわっていたと思うが、風はさらに強くなってきた。強風が吹いた時に、家の上の方からぱ きっという音が聞こえてきて、ものすごい冷や汗が流れた。父親は、家の東にある屋根の低い離れに、ここだったら助かると母と叔父、私を入れてくれた。きっ と1人で母屋を守るつもりだったのだろう。

ほかの皆さんからも聞いているのは、台風は過ぎていく直前の時に強烈な風 が吹いて、家が倒れるという。だんだん空も明るくなってきて、離れの窓から外を見ていた。ちょうど台風がそろそろ行くというころ、びゅうびゅう吹く風の間 隔がだんだん開いてきた。その時にばりばりという大きな音がした。隣の家が去年くらいに建てた、新築の納屋が倒れるのを見てびっくりした。その家には牛舎 もあった。当時はどこの家でも牛を飼い、草を刈って食べさせていた。牛舎は地面より低く掘られ、へこんだ中に牛がいたので後で助かったと聞いた。その時は 感動して、よかったなあと思ったことを覚えている。

台風の来た次の日にわかったのだが、前日の夜に父親が材を取りに 納屋へ行って、帰ってきてからのことだと思う。ばんという大きな音がした。電柱のがいしがへし折れ、電線と一緒に納屋の方へばーっと飛んでいった。そこ が、ちょうど父親が納屋を開けた所で、もしかしたら頭に直撃していたかもしれず、父親は時間の差で助かったのだと思っている。家では、この時の災害を忘れ ないよう、当時の雨戸を今も替えずに残している。

私の家は山を持っていたが、そこの木が台風でみんな根こそぎ倒れ た。家は茶畑を営んでいて、冬場は山の木を切り、市場に運んで生計を立てていた。台風の後、小学6年生くらいの時に植林に父親たちに連れられて、植林をし に山に入ったことがある。そのころからが、自分と山との出会いだったと思う。山林を意識したのは、伊勢湾台風がきっかけだった

台 風が来た翌朝の近所の様子や、その翌日の学校がどうだったかについては、あまり覚えていない。一番の記憶は、家が倒れて自分の命を失うのではないかという 気持ちがあったこと。備えあれば憂いなしで、なるべく早く災害対策の準備をするということを、もっと伝えていかなければならない。父親の生前に台風につい て振り返り話すと、あの時は大変だったなあと言って、反省してくれたのは覚えている。あれから父親もずいぶん変わり、台風の対策を早く行うようになった。

家 が残っただけでも恵まれていたなあと思う。私たちが受けた台風は、100年に1回の災害と言われるが、断定はできない。想定外ということも起こりうるし、 早めに手を打つことが大切。行政の立場として、人の命を守ることは原則だが、他人の力をあてにせず、まずは自身の力でやれることをする。自分たちで身を守 るような意識を持って、しっかりとした防災体制を構築することができれば、行政と皆さんとの連携ができ、地域の防災力は高まると思う。多くの人々が亡く なっていることを頭に焼き付けて、きちんと行動に移せるような体制をつくらないと。こうした防災の原点を一人一人がしっかりと行えば、地域は結集すること ができ、もし災害が起きてもライフラインを早く復活させることができると思う。

 

タイトル 昭和34年伊勢湾台風被災証言(度会町 中村 順一)
概要 大きい台風が来るというのを聞いていた。雨風がきつくなってきてから、父親がかんぬきを離れに取りに行った。その間、家族で雨戸を内側から押さえていた。父親が戻ったすぐ後ぐらいに、大きな音がして、後で見たところ、離れのかんぬきがおいてあったあたりに電柱のがいし、倒れ、父親が居たであろう場所に突っ込んでいた。今を思えば間一髪だったと思う。
タイトル2 ショウワ34ネンイセワンタイフウヒサイショウゲン(ワタライチョウ ナカムラ ジュンイチ)
概要2 お名前:中村 順一
性別:男性
年齢(生年):67歳(2016年2月17日現在)
現住所:度会郡度会町
被災時のお住まい:度会郡度会町棚橋
被災時の職業・学校など:小学6年生(当時11歳)
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県度会郡度会町棚橋
コンテンツの撮影場所 三重県度会郡度会町棚橋
タグID 一部損壊,内木田小学校,昭和34年(1959) 伊勢湾台風,度会郡 度会町
コンテンツID 伊勢湾台風体験談・証言

動画に関する詳細情報