災害体験談・証言映像
昭和34年伊勢湾台風被災証言(志摩市 大口 秀和さん)
異常な光景に衝撃、茶色い水の中を歩く
伊勢湾台風が来た当時は、志摩町和具のすこし高い所に木造の瓦屋根の家があり、父、母、兄弟3人と暮らしていた。私は和具小学校の3年生で、普段は山や海で過ごし、一日泥んこになって遊んでいた。
台 風の来た晩、家に帰ると父と母が雨戸にむしろをかぶせ、かんぬきをかける作業をしていて、金づちを使っていたのを覚えている。私は台風についてあまり関心 がなく、遊んでいた。眠りについて夜半になり、父と母の大声で目が覚めた。南からの強い風が雨戸に当たり、弓なりになっていた。雨戸が外れて家が壊れてし まいそうになり、はしごを持ってきて押さえるが、風はどんどん吹いて当たる。あの時の感触をよく覚えている。当時、トイレはどこも家の外にあったが、風が 強くて出て行ける状況ではなかったので、桶を玄関に置いて代わりに使った。
台風で朝ごろまでばたばたしていたが、寝てしまった。それから目 が覚めると、寝間着のまま運動靴を履いて外を歩いた。家から100メートルくらいのところに剣光寺があり、その付近まで行くと太ももまで水が浸かってい た。道が見えないなか、所々にいろんな物が浮いていて、茶色い水の中をじゃぶじゃぶと歩いた。あの感覚は、未だに忘れられない。さらに100メートルくら い行くと造船所があったが、つぶれていて、通りに出ると道の中まで船が流れていて、すごいなあと思った。
浜に行くと、群生していた松がほと んど残らずなくなっていた。近くには墓があったが、波でみんな洗われてしまい人骨が出ていた。それを地元の人たちが、魚を入れるトロ箱に集め、収めてい た。大人たちは、みんな忙しそうに働いていて全然声をかけてもらえず、近くに寄ると危ないからと追い払われた。船がひっくり返り、家は傾き穴が開いている 光景は衝撃で、異常な世界を見る感じだった。友達のなかには、家がつぶれて住めなくなり、親戚の家に移ったという話も聞いた。
私の家は、海 抜6、7メートルの剣光寺から、さらに5メートルくらい高いところにあったため、水には浸からなかった。家の前には江田川という小さな川があり、1メート ルくらいの深さのU字構のような石造りの底を、水深10センチくらいの水が流れ、ドジョウやザリガニがいたきれいな川だった。それが台風の通り過ぎた朝に は満水の状態で、薄い黒茶の水になって流れていた。あんなふうになったのは生まれて初めてで、今でも見ることはない。それだけ雨がたくさん降ったのだと思 う。この日は1日をどう過ごしたのか、ご飯を食べたかどうか、どう家に帰ったのかも覚えていない。その夜に家族で話をしながら、父と母がすごかったなあと 言っていたのを覚えている。
昔と違って、今の家は防水がしっかりしているし、雨戸もシャッターもある。ところが今の方たちは大きな台風を経 験していない。実際に大きな台風が来たときに防げるのだろうか。当時は防波堤も低かった。伊勢湾台風の後には、たくさんの防波堤が造られて、高波に対する 備えはできた。町を守るのが市役所の仕事であり、できることは普段からの情報発信と、個々の家でどれだけ防災対策をしていただけるかの取り組みである。台 風が来たら、かんぬきをかける。砂袋を置いてシャッターを下ろす。そういったことを皆さんが心がけてくれれば、被害は少なくなると思う。
こ れからの災害の一番の問題は津波。逃げるための環境整備はもちろんだが、市役所の指定した避難路が、実際になったらつぶれてしまうかもしれず、どの道を逃 げたらよいのか、皆さんにタウンウォッチングしてもらわないと。そこから始めて、個々の家での防災対策を進めてほしい。最初の1分を生き残るための対策 は、個々の人にやってもらわなければならず、この手立てをどれだけ講ずることができるかが、今の防災の要だ。
タイトル | 昭和34年伊勢湾台風被災証言(志摩市 大口 秀和) |
---|---|
概要 | 夜になって、雨戸が弓なりになり、両親が対応していたのを目の当たりにし、手伝っていた。風が止んだ際に台風の目に入ったということをきき、外を見たが、子供だったので「ああ、こういうことか」ぐらいにしか思わなかった。明け方までバタバタしていたが、いつの間にか寝てしまった。目が覚めると、家には誰もいなく、家の外に出ていくと、普段の景色と変わっており、ありえないところまで水に浸かっていて、その中に足を進めると太ももまで水に浸かった。子供だったので、冒険の続きのような感覚を覚えた。周りに被害はあったが、子供の時分のことであったため、詳しいことよりも、非日常の状況であったことを覚えている |
タイトル2 | ショウワ34ネンイセワンタイフウヒサイショウゲン(シマシ オオグチ ヒデカズ) |
概要2 | お名前:大口 秀和 性別:男性 年齢(生年):65歳(2016年2月9日現在) 現住所:志摩市 被災時のお住まい:志摩町 被災時の職業・学校など:和具小学校3年生 |
公開レベル | 公開 |
出典 | みえ防災・減災センター |
提供者 | 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター |
提供者公開フラグ | 公開 |
原本の保管場所 | |
コンテンツの取得日時 | 2016年 03月 31日 |
コンテンツの住所 | 三重県志摩市志摩町 |
コンテンツの撮影場所 | 三重県志摩市志摩町 |
タグID | 和具小学校,床上浸水,昭和34年(1959) 伊勢湾台風,志摩郡 志摩町 |
コンテンツID | 伊勢湾台風体験談・証言 |