思いつく順に
避難について。
1.すぐに行動する。井戸の水で確かめるのは無駄なことだ。物の壊れたこと等、話し合っている時間が長い。「そんなことは春の日永にして、はよ逃げない」と言ってもなかなか聞かないものだ。
2.下じきになったりした人があったらどうします?今から考えてもしかたないが、まあそのとき考えよう。
3.災害後の復興について。平和日本とか法治国とか言うけど、今はのんきでよい時代だと思ってしまう。六月の田植えまでには、とにかく津波でやぶれた堤防を復旧して、海水が田んぼに入らないようにして米を作ろうと労働力のないとき。働き手は兵隊さん、軍需工場へ行った残りの人が、力を合わせてなしとげた。私は子供だから詳しいことは知らないが「東北地方と宿田曽」の御は忘れるなと母に聞かされた。1万~20万円の個人寄付をしてくれた人もあったが、後日おくさんに聞いたが知らないと言っていた。寒い冬、海に入って根石を積むには長靴のない時代、アルコールの勢いで実行するため、いものドブロクを作った。もちろん許可をとるなどのんきなことしてられない。ジュンササンが味見にくると聞いた。12帖ほどの所にドブ瓶がならんでいた。

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(度会郡南伊勢町 山本 篤)
概要 避難については、すぐに行動する。災害後の復興は労働力がなくても、力を合わせてなしとげた。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(ワタライグンミナミイセチョウ ヤマモト アツシ)
概要2 お名前:山本 篤
ご住所:度会郡南伊勢町
発生時にいた場所:五ケ所町国民学校
当時の年齢:14歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 山本 篤
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県度会郡南伊勢町五ケ所浦
コンテンツの撮影場所
タグID 五ヶ所町国民学校,昭和19年(1944) 東南海地震,度会郡 南勢町
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

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