災害体験談・証言映像
平成16年台風第21号豪雨体験談映像(大台町 山本 勝征さん)
当日は東京にいて、テレビで初めて宮川村の被害を知った。心配になり家に連絡しても電話が何時間もつながらず、夕方になんとか息子と連絡が取れた。そこで、家族は安全なところに避難していることを聞き、ひとまずは安心した。
問い:山本さんは台風接近時にどちらにいましたか?
東京に出かけていました。
問い:ご自宅周辺の雨風等々の状況はどこで知られたんでしょうか?
東京のテレビを見まして、そうしたらこちらの状況が雨で大変だと知りまして、直ぐに電話を入れたんですが、既に電話がつながらない状況でした。
問い:それは固定電話も携帯電話もでしょうか?
はい。携帯も息子が持っていましたがそれも繋がりませんでした。もちろん、自宅の固定電話も繋がらずにいました。その後夕方の5時、6時頃に息子に繋がりました。
問い:ご自宅のある場所の地形ですとか過去の災害等から気がかりな点は無かったですか?
ありました。まずは裏山が崩れないか?という心配でした。川や谷の増水よりも裏山が崩れないか?が心配でした。息子との電話で水は出たけど裏山は大丈夫との事で一安心でした。
問い:何か山本さんから助言された事はありますか?
家内も息子も集会所へ避難したという事を聞きましたので怪我や命を落とす事が無ければ良かったと思いながら向こうにいました。
問い:東京からご自宅に帰って来られたのは何時になりますか?
翌日か?細かい記憶がないのですが、帰ってくるのにJRも近鉄も止まっているという事でしたので。。。確か30日の夕方に帰って来たと思います。
問い:そうしましたら29日の夕方に電話が繋がってお話しをして、一日後の30日の夕方にお帰りになったと。ご自宅はどの様な状態になっていましたか?
裏山から通路を水が走って勝手口に水が入って泥が一杯になっていて驚いた状況でした。ただ家そのものに影響は無かったのでホッとした気持ちはありました。
問い:想像されていた状況と比べていかがでしたか?
家の回りや谷の状況が荒れていたので驚いた状況でした。
問い:ご自宅は泥が溜まっていたという状態でしたが、どうやって復旧しましたか?
ボランティア等は頼まずに家内と息子と私の3人で洗い流しました。
問い:何日間ぐらいかけて?
3日、4日かかったと思います。
問い:ご自宅は大きな被害も無く、ご家族も無事だということですけども、農林業がご職業と言う事でその後生活する上で何か困られた事はないですか?
この辺の山のあちこちで林道が通れずに山にも入れないですし、材木を発送する事も出来ないので困りました。
問い:山の仕事が出来ない状況はどれぐらい続いたんでしょうか?
一ヶ月ぐらい出来なかったですかね。私は自分でユンボを持っているのと町の応援もありまして、一ヶ月ぐらいで入れるようになりました。まったく入れない山もありましど。
問い:林道の被害があったという事ですけどもそれも一ヶ月ぐらいですか?
いや、林道の復旧には、ひどい所は半年ぐらい入れなかった山もありましたね。
問い:山本さんはこの場におられずに雨等は体験されていませんが、奥様や回りの方からお話しを聞いて、何か防災に対する意識は変わりましたか?
とにかく、大雨が降ったら逃げるが勝ちや!と避難する以外にない、というのが命を守る条件だと家内と言っています。今でも大雨が降ると避難所に行くなり、車でどこかへ行くなりしています。
タイトル | 平成16年台風第21号豪雨体験談映像(大台町 山本 勝征) |
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概要 | 当日は東京にいて、テレビで初めて宮川村の被害を知った。心配になり家に連絡しても電話が何時間もつながらず、夕方になんとか息子と連絡が取れた。そこで、家族は安全なところに避難していることを聞き、ひとまずは安心した。 |
タイトル2 | ヘイセイ16ネンタイフウダイ21ゴウタイケンダンエイゾウ(オオダイチョウ ヤマモト カツユキ) |
概要2 | お名前:山本 勝征 性別:男性 年齢(生年): 現住所:多気郡大台町下真手 被災時のお住まい:多気郡大台町下真手 被災時の職業・学校など: |
公開レベル | 公開 |
出典 | みえ防災・減災センター |
提供者 | 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター |
提供者公開フラグ | 公開 |
原本の保管場所 | |
コンテンツの取得日時 | 2017年 10月 04日 |
コンテンツの住所 | 三重県多気郡大台町下真手 |
コンテンツの撮影場所 | 三重県多気郡大台町下真手 |
タグID | 平成16年(2004) 台風第21号・土砂災害,多気郡 大台町 |
コンテンツID | 平成16年台風第21号豪雨体験談 |