災害体験談・証言映像
平成16年台風第21号豪雨体験談映像(大台町 寺添 幸男さん)
大杉現地対策班として、前日の夜に現地入りした。雨は降り続いていたが、明け方までは大きな変化はなかった。しかし、朝になると急に視界が悪くなるほどの雨に変わった。対策本部である大杉出張所も土砂が流入し始めたため、地域の方とともに、大杉地区総合センターへ歩いて避難を開始した。
問い:当時のお立場から教えて頂けますか?
当時は産業課の課長職の中で大杉現地対策班という事で災害現場に出向いていました。
問い:大杉地域でどの様な対応をされたのか教えて頂けますか?
大杉谷というところは日々雨が多いという事で一番最初に現地対策本部を作るところでございます。前日の夜に現場に入りまして大杉谷出張所で対策本部を設けて災害対策の準備を進めていました。
問い:前日の夜というのは何月何日の何時頃になりますか?
9月28日の零時前後だったと記憶しています。
問い:真夜中に立ち上げられたわけですが、その頃の雨の様子はいかがでしたか?
私共4人で車で行きましたけど、言わば山から溢れでる水が滝のように流れていまして、自分たち行くのに危険を感じながら「これはタダごとでない」という感じを持ちながら現地対策本部へ車で移動しました。
問い:現地対策本部の建物というのはどの様なモノでどの様な状態だったんでしょうか?
私共が着いた時には電気も水も電話も良かったんですが、対策本部が大杉出張所という所で山裾にある小さな建物で裏山が危険かな?というのがありましたが、到着した時には大丈夫でした。
問い:その後、状況はどの様に変化していきましたか?
翌朝6時、7時ぐらいまでは大きな変化がありませんでした。しかし、その後に雨が急激に増えてですね、視界が悪くなるほど回りがもやって真っ白になるぐらい雨が降り始めて、その頃から住民の皆さんから「土のうがないか?」とか「裏山が崩れた」と電話が入りました。しかし、電話を頂いて対応する中で一時間もしないうちに電気も電話も止まってしまったという状況です。
問い:電話も電気も止まった中で対応するのは大変だったと思いますが、どんな形で対応されたんでしょうか?
まず、その前に災害対策本部の出張所の裏山が9時前後に崩れ始めまして、ちょうど電話や電気が止まったぐらいに出張所に水や土砂が入って来ました。ココにいたら危険と感じましたので、近くの方々に声掛けしながら大杉地区総合センターという3キロほど上流の避難所へ近隣の方々と歩いて避難しました。車で行こうと思ったのですが、何十か所も土砂崩れがあって行けませんでした。その時に4名しかいなかったので内2名で上流部への避難呼びかけ、あと二人は下流部への避難呼びかけを連絡手段も無いのでそれぞれが責任を持ってやろう、という事で二手に分かれて避難呼びかけと共に安否確認を二日かけて行ったという状況ですね。
問い:新しく拠点を移動されたわけですよね、その時に地域の方と一緒に歩かれたという事ですが、その時の様子はいかがでしたか?
地域の方々が避難をするという認識があまりなかったというのが、まず第一ですね。お声掛けさせて頂いても「私は行かない」と言う方も多かったので。そういう方を説得しながら、区長さんにもお願いしながら「一旦お集まりいただきたいと」声掛けさせてもらったんですが、高齢者の方も多いのでぬかるんだ道の上を歩くのが大変でした。普段の倍以上かかって現場に到着した記憶があります。
上流も安否確認に回ったのが当時の一日目の作業だったと思います。
問い:安否確認というのは一軒づつ訪ねるんですか?
区長さんにも協力していただいてチェックリストを作りながら全部把握したというのが最初の仕事だったように思います。土砂崩れがあちこちで発生していましたが、どなたもケガ人も無かった事で胸をなでおろしました。
問い:安否確認のために回っている時に地域の方々が不安に思われていたことや要望はどの様な事が多かったでしょうか?
普通ですとそういう声が大きくなると思うんですが、みなさん地域でいろいろ助け合いをされているんですね。災害現場の方々の建物を復旧するために動いておられたり、水の確保のために共同で作業をされているんですね、その中へ僕たちが出来る事を探しながら支援しました。一番最初に大杉地域総合センターはヘリコプターの基地になりましたのでそこに機材や食料を投下してもらったんですが、地域の方々から最初に山から水を引くための黒いパイプを要望されましたので手配した記憶があります。その様なサポートはさせて頂きましたが、皆さん自主的に災害対応されていて本当にびっくりしました。
問い:ケガ人等々はいらっしゃらなかったですか?
ケガ人はいなかったのですが、その後問題になったのは高齢者の方が多いので薬がないという事が結構あるんですね、その為にお薬の要請をしました。それから翌日か翌々日だったと思うんですけど約10キロほど歩いて対策本部のある役場へ行って、人的被害のなかった事の報告と保健婦の要請をしました。医師に来てもらう事は出来ないので保健婦の方に来てもらって薬の確保をしました。
問い:それは何時ごろですか?
災害後、三日目ぐらいです。その時に透析をしなければいけない方がいたのでヘリコプターを手配して病院へ行ってもらいました。そういう方々を安心安全な所へ拠点を移す事によって残った方々で災害復旧が出来たと私達は理解しています。
問い:雨が強かった時間帯はモヤがかかった様、というお話でしたが、その状態はどの様な状態だったんでしょうか?
状態ですか。。。一言で言うと「異様」ですよ。私の記憶の中では雨が降っているんですが、意外に静かでしたね、風も無く。皆さんと避難している時に音というより「川の流れが速い」というイメージと川の中に木が立ったまま流れて来るんですね。それが橋にぶつかって「ゴーン」と音がするんですね。その音の方が耳について、その印象が強すぎて全体が静かだったように記憶していますが、実はすごい状況でした。
問い:いたるところで土砂崩れが発生していて道路が寸断されていたという事でしたが、孤立した地域もあったんじゃないですか?
孤立した地域は大きく分けて2ヶ所ありまして、一切車で通れない。実は、それ以外に大杉地区の一番入口にある国道422号線が50mぐらいダムの水で洗われて無くなってしまったんですね。だから、一切大杉谷地区から下流に出る事が出来なかったです。これは一ヶ月間ぐらい。それ以外に大杉地区に土砂災害で2ヶ所道路が無くなったところがありまして、それは二日後か三日後か記憶にないんですが、道路を造る作業を地元の方々と一緒にしました。道路というのは歩いて通れる道を何とか確保しよう、という事で二か所に山道を付けさせて頂きました。その時は私共だけじゃなくて下流部からも応援があって皆で手作業で迂回歩道を造りました。
問い:ちょっと状況が落ち着いたのは何時ぐらいでしょうか?
一番落ち着いたと思ったのは、衛星電話を設置してもらったのが4日後です。その要望が一番多かったんです。報道では凄い状況だと流れていましたが、大杉谷の状況が一切流れて無かったんですね、その中で自分たちの無事を親戚の方々に伝えたいということで衛星携帯電話を3基ほど設置頂きました。その時、これで一段落したかな、と思いました。
問い:災害対策本部とのやり取りは途中から出来なかったということですか?
最初から出来なかったですね。最初から出来なくて三日後ぐらいに災害対策本部トップの町長へ連絡させていただいて、人的被害は無かった事、だけどこれぐらいの被害を受けています、という事を報告しました。その後、私が思った事なんですけども、現地対策本部と本部と感覚の差が出て来るんですね。その中で苦労したのは連絡が密に取れないという事でした。この様な状況を踏まえて災害後になりますが、災害対策というのは対策本部の本部長が出すのが本来なのですが、状況の伝達がうまく出来ないために対策に対する権限を現場の方に委譲してもらう事になりました。災害発生後三日間を目処に避難指示や避難勧告も含めて災害現場にて対応できるようになりました。
災害後一ヶ月間ほど大杉谷の方で災害現場を仕切っていましたのでその様な事をしないと出来なかったという事です。
問い:幸いにも大杉谷では亡くなったがいらっしゃいませんでしたね、その要因はどういった所にあると思いますか?
地域コミュニティーが凄くしっかりしていますね。何かあったら区長さんを中心にまとまろうと、その中で意思統一が出来るんですね。今回の16年災害でも区長さんに協力をいただいて連絡会を持って何が必要か協議しました。それを地域へフィードバックしてもらいました。元々の地域コミュニティーがしっかりしている所が災害にも強い事を実感しました。
問い:寺添さんご自身、この災害を経験される前と後で災害に対する意識は変わられましたか?
行政マンとしての考え方ですが、一番は非常用電話回線の確保が絶対に必要でした。この様な山の中では直ぐに業者さんも来てもらえないので。災害後に役場でも災害時用の衛星携帯電話を地域へ配置しています。それと、個人情報の問題はあるんですが、個々の世帯状況の把握が必要になりますね。難しい問題もあるのですが、各世帯の環境を要援護の情報も加えて詳細な情報が必要になって来ます。実際に大杉谷地区では個々の詳細な世帯状況の把握を行いました。それから、看護師さんや保険師さんに診てもらう事が一番安心してもらえました。僕たちは現場に出てフォローはしますが、やっぱり精神的な部分も含めてフォローしてもらえる体制をとる、現場と二段階で作らないといけない、という今回からの反省で思いました。今回大杉である程度できまして喜んでいただきましたし、不安解消につながったと思います。
問い:災害時、災害前も含めて何が一番重要だと思いますか?
役場などから避難指示や避難勧告が来ますが、自身で気象情報等を的確に判断できるようにする事、関連して災害に遭う事を前提とした対応をする、それは備蓄品を置くとか薬のリストは常に持っておくとか各家庭で事情は違うと思いますが、そういう事を事前に準備する事で混乱を防ぐ事ができるんです。ちょっとした事を心がけるようにしています。地域の広域消防さんでも個人の詳細な情報を小さな箱に入れて持ち歩るく様にしてもらう活動していますが、そういった小さな事が災害に強いまちづくりにつながると思います。
タイトル | 平成16年台風第21号豪雨体験談映像(大台町 寺添 幸男) |
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概要 | 大杉現地対策班として、前日の夜に現地入りした。雨は降り続いていたが、明け方までは大きな変化はなかった。しかし、朝になると急に視界が悪くなるほどの雨に変わった。対策本部である大杉出張所も土砂が流入し始めたため、地域の方とともに、大杉地区総合センターへ歩いて避難を開始した。 |
タイトル2 | ヘイセイ16ネンタイフウダイ21ゴウタイケンダンエイゾウ(オオダイチョウ テラゾエ ユキオ) |
概要2 | お名前:寺添 幸男 ご住所:多気郡大台町 発生時にいた場所:大杉出張所 当時の年齢: |
公開レベル | 公開 |
出典 | みえ防災・減災センター |
提供者 | 三重県・三重大学 みえ防災・減災センター |
提供者公開フラグ | 公開 |
原本の保管場所 | |
コンテンツの取得日時 | 2018年 03月 06日 |
コンテンツの住所 | 三重県多気郡大台町大杉 |
コンテンツの撮影場所 | 三重県多気郡大台町佐原 |
タグID | 大杉現地対策班,大杉出張所,大杉地区総合センター,平成16年(2004) 台風第21号・土砂災害,多気郡 大台町 |
コンテンツID | 平成16年台風第21号豪雨体験談 |