昭和19年12月7日国民学校4年生でした。午後の授業は工作の時間でした。グライダーを作っていました。竹ひごで主翼、尾翼を丸めて型を作り、紙を貼り中心の軸に取り付け、プロペラを付けて尾翼下まで生ゴム紐をつけて出来上がり、机の上へ置いて校庭へ出た途端、同級生が教室から駆けだしてきました。「地震~」。おさまって教室へ戻ると机の上のグライダーは後ろの壁がくずれ落ちて壊れていました。父が学校まで迎えに来てくれたので歩いて家へ、途中お店のウインドーのガラスが割れていました。

私の家は萬古屋(製陶業)でした。窯の煙突がへし折れていました。私の家から南東方向に四日市港が位置し石原産業の日本一高い煙突と板硝子の3本の煙突がよく見えました。その石原産業の煙突も折れていました。

余震もあったので外へ出やすい部屋で就寝し、床の上に新聞紙を広げ履物を並べていた事が思いだされます。その翌年20年6月17~18日には四日市大空襲にあい、家は全焼しました。その後、疎開、終戦、戦後の困難等を乗り越え今に至っていられる事は先代への感謝の毎日です。

 

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(鈴鹿市 杉本 洋子)
概要 杉本洋子(当時10歳)
四日市第七国民学校で授業中に地震が発生。父が学校まで迎えにきてくれて歩いて家へ帰った。実家の萬古屋(製陶業)で窯の煙突が折れていた。石原産業の煙突も折れているのが見えた。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(スズカシ スギモト ヨウコ)
概要2 お名前:杉本 洋子
ご住所:鈴鹿市
発生時にいた場所:四日市第七国民学校校庭(現在西橋北小学校)
当時の年齢:10歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 杉本 洋子
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2014年 12月 06日
コンテンツの住所 三重県四日市市川原町25-22
コンテンツの撮影場所
タグID 昭和東南海地震,四日市第七国民学校,西橋北小学校,石原産業,四日市市,昭和19年(1944) 東南海地震
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

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