私の家は農家で6人家族でした。父は当日家に居なかったと記憶しています。行先は所有地の山林の手入れや薪物の準備をしていた。山林ではそんなに大きい揺れは感じなかった?と話をしていた様な薄い記億があります。当時家には母と祖母と私と弟(生後10ヶ月)の4人が居ました。姉は何処に居たか記億がありません。母、祖母と私の3人は宅地内の畑で採れた漬物用の大根をハサに欠けて天日干しの作業をしていましたところ、突然の大揺れで母は弟が寝ている家の中へ行き弟を抱き連れて逃げました。私は祖母に引き連れられて宅地続きの竹ヤブへ連れて行かれました。又、母、祖母、弟の3人は大根乾燥用の杭につかまって揺れが止むのを待っていました。
被害は納屋の壁が一区切り落下しました。又、他の壁の部分にクラックができていました。屋根瓦の先端は多数落下していました。母屋は揺れている間“ほうず”(柱と桁の繋ぎ目)からギーギーと大きな音がしていました。大変恐ろしい大きな地震だと親は言っていました。後々まで私達に話をしてくれました。

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(亀山市 草川 吉美)
概要 当時、家には母と祖母と私と弟(生後10ヶ月)がおり、父は不在だった。大根の天日干しの作業をしていたところ、突然の大揺れで母は弟が寝ている家の中に行き、弟を抱き連れて逃げた。私は祖母に連れられ、宅地続きの竹ヤブへ逃げた。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(カメヤマシ クサカワ ヨシミ)
概要2 お名前:草川 吉美
ご住所:亀山市
発生時にいた場所:自宅
当時の年齢:9歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 草川 吉美
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県亀山市中庄町
コンテンツの撮影場所
タグID 昭和19年(1944) 東南海地震,亀山市
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

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