災害体験談・証言手記
昭和19年東南海地震 体験手記(津市 坂田 信昭さん)
昭和19年は、太平洋戦争が末期となり、米軍のB29爆撃機が連日にわたって、日本本土を空襲し、東京をはじめ、殆どの都市が焼け野原となり、敗戦の色が濃くなってきた頃でした。その頃、毎年のように日本各地が地震に見舞われ、19年12月7日昼過ぎに起きた東南海地震はM7.9。三重県が最も大きい被害を受けました。当時私は16歳で、全寮制の学校に在学していましたが、12月20日から四日市の第2海軍燃料廠へ勤労学徒として動員されるので、たまたま自宅に帰っていました。故郷は津市白山町で、里山に囲まれた静かな農村でした。
この日は母と二人でいましたが、お昼過ぎ「地震や~」と言って庭に飛び出しました。母も後ろへ付いてきたのでしたが、揺れが激しく「足がふらふらして歩けん」と言って庭を這っていました。幸い家の竹藪が数十米の所にあるので、母を起こし手を引いて、細い畑道を小走りしました。間もなく揺れがおさまったので家に引き返しました。4~5分程揺れていたのではないかと思います。
幼い時から地震には関心があり「地震の時は薮へ逃げろ」と教わっていました。地震災害の時の心構えは、学校で毎学期避難訓練があり、素足で運動場に集まった記憶があります。地震等緊急な事態が発生したとき、沈着に、どう対処し、どういう行動をとれば、いいかを判断できるよう心掛けることが大切と思います。
タイトル | 昭和19年東南海地震 体験手記(津市 坂田 信昭) |
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概要 | 白山南出の農村の自宅で、母と二人でいたところ、「地震やー」と言って庭に飛び出した。母も後ろへ付いてきたが、揺れが激しく「足がふらふらして歩けん」と言って庭を這っていた。家の竹藪に母の手を引いて走った。4~5分は揺れていたのではないかと思う。 |
タイトル2 | ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(ツシ サカタ ノブアキ) |
概要2 | お名前:坂田 信昭 ご住所:津市 発生時にいた場所:津市白山町南出 当時の年齢:16歳 |
公開レベル | 公開 |
出典 | みえ防災・減災センター |
提供者 | 坂田 信昭 |
提供者公開フラグ | 公開 |
原本の保管場所 | |
コンテンツの取得日時 | 2016年 04月 01日 |
コンテンツの住所 | 三重県津市白山町南出 |
コンテンツの撮影場所 | |
タグID | 一志郡 白山町 |
コンテンツID | 昭和東南海地震体験談・証言(手記) |