災害体験談・証言手記
昭和19年東南海地震 体験手記(亀山市 匿名さん)
私は昭和10年2月生まれです(亀山市在住)。地震があったとき教室の中にいました。地震が終わった頃に生徒は外へ出る様に先生からいわれました。私達は急いで校庭へ出ました。小学校一年生ぐらいの生徒が外へ出るのも怖いのか泣いていて、教室の窓から先生方に助けられて外へ出るのを見ました。すごく怖かったです。家へ帰ったら祖母の話では、家の近くの畠にいて、昼になったから帰ろうと(ふご)わらであんだ荷物を入れるものを背中にしょって、立った時に立てなくて、地面に何度もころころころげて立てなくて、これは何だろうと、あたりを見廻したら近くに見える家が揺れていたので、初めて地震だという事にきが付いたそうです。家へ帰ったら私達の家はどの家も石垣が積んで有りましたが、2メートル以上もある石垣が幅2メートル程こわれていました。
父は兵隊で出世していましたので祖父母と母子供5人の貧困家庭でしたので寂しかったです。
又、20年の1月の夜中にも地震が有って祖父がふとんをかぶって寝ている様に言ったので、子供達はふとんの中で震えていました。私は現在でも地震が有っても体が動かなくて外へ出る事は出来ません。そのまま地震の納まるのを待っています。今はもう年齢も重ねておりますので、死に対する怖さは有りませんので、家を直す気も有りません。
タイトル | 昭和19年東南海地震 体験手記(亀山市 匿名) |
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概要 | 地震があったとき、教室にいた。地震が終わった頃に生徒は外へ出るよう先生から言われ、急いで校庭に出た。小学一年生くらいの生徒は外に出るのが怖いのか泣いていて、教室の窓から先生に助けられて外に出るのを見た。祖母の話では、家の近くの畠にいて、地面に何度もころころ転げて立てなくてこれは何だろうとあたりを見廻したら近くにの家が揺れていて、初めて地震だと気づいたそうだ。 |
タイトル2 | ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(カメヤマシ トクメイ) |
概要2 | お名前:匿名 ご住所:亀山市 発生時にいた場所:教室 当時の年齢:9歳 |
公開レベル | 公開 |
出典 | みえ防災・減災センター |
提供者 | 匿名 |
提供者公開フラグ | 非公開 |
原本の保管場所 | |
コンテンツの取得日時 | 2016年 04月 01日 |
コンテンツの住所 | 三重県亀山市不明 |
コンテンツの撮影場所 | |
タグID | 昭和19年(1944) 東南海地震,亀山市 |
コンテンツID | 昭和東南海地震体験談・証言(手記) |