太平洋戦争真只中で昭和19年12月ともなれば敗色濃厚な日本の日々、12月7日といえば寒さが若干厳しいその頃小学校では午後の1限目の授業中であった。今の給食室の東側にあり、何の勉強をしたかはサッパリ覚えてないが突然天地がひっくり返るような振動で皆一斉に北側の窓から飛び下りて外に出た5~6m離れたところに幅2m位の溝川がありその溝を飛んだことは覚えているが奇妙にその飛んだ現象を今もはっきりと思い出す。幅2m位の溝であるので飛んだらすぐに向う岸につくのであるが、飛んでその中間空中で直角に直下に落下した。こんなことが起こるのが不思議な記憶としてはっきりと今も覚えている。人に言っても「そんなこと?」と言って相手にされない。家に帰るのに1km道程何の記億もない。誰に聞いたのか覚えていないが、「大きなすごい地震で四日市では石原産業の東洋一の煙突が折れたそうな」ということを耳にした。家の近くには昔からの伝統のある常夜燈が二つあり、これが2カ所共壊れた。家が壊れたとか塀が壊れたとかのことは一向に聞かない。何せ今と違って情報が皆無であり特に戦時中のこと。ただ、溝を飛んで真下に落ちたことが記憶として残っている。ただ、私の恐い記億としては昭和28年の13号台風で堤防がほとんど壊れたことでの床上浸水と、七夕豪雨での浸水である。伊勢湾台風の被害は、こちらはたいしたことがなかった。
この現象はあとあとで思うのであるが、鈴鹿山脈方面にエアポケットといって飛行航路の危険個所とされているそうで、即ち詳しくはわからないが、真下に落ちたということは大きな地震で瞬間気圧が極端に上下変化をしたのではなかろうか?

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(津市 伊藤 俊男)
概要 午後の1限目の授業中、突然天地がひっくり返るような振動で皆一斉に北側の窓から飛び下りて外に出た。家の近くには昔からの伝統のある常夜燈が2つとも壊れた。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(ツシ イトウ トシオ)
概要2 お名前:伊藤 俊男
ご住所:津市
発生時にいた場所:栗真町屋町 栗真小学校
当時の年齢:12歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 伊藤 俊男
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県津市栗真町屋町
コンテンツの撮影場所
タグID 栗真小学校,津市,昭和19年(1944) 東南海地震
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

コンテンツに関する詳細情報