「あっ地震や」と皆が叫ぶ。

あれは、忘れもしない歴史の時間、突然二階の床が突き上げられるような激動と共に校舎全体がはげしく揺れ動いた。30度くらいの傾きのように感じた。思いがけない出来事で声も出ず、ただ恐ろしさに怯えた。長い時間だったと思われる。昭和十九年十二月七日午後一時三十六分、授業が始まってまもなくだった。東南海地震だったのだ。M7.9、当時三重青年師範学校女子部が亀山にあり、三重師範学校女子部と同校舎で学んでいた。やっと我にかえり、皆で「机の下」「机の下」と叫びかけ合いながら、地震の止むまで待っていた。学校や学生の事を考えられてか、揺れている教壇の上を行ったり来たり、入口のドアを開け、ふらふらされている先生に「早く教卓の下に入って。」と、皆で声をかけたことも思いだされた。運動場が一望できる窓際に座っていたが、驚き立ち上がった瞬間、体育をしていた師範生が倒れていく様子が目に入った。揺れのおさまるのを待って、急いで階段を駆け降りると、亀裂した壁と壁の間が大きく開いていた。途中大きな余震があり、壁が落ちて頭の上にふりかかる。理科室の前までくると薬品が倒れたのか煙り立っている廊下を必死で走りぬけ、運動場へ逃げのび、ようやく我に返り落ち着くことが出来た。電柱は倒れ、電話線がたれ下がっているのも目に入った。体育をしていた学友は激しい揺れで眩暈がして、その場に倒れたと聞かされた。学校から寮までは約1kmの道のり、その道筋は開口部が40cm~50cmほど地面深くまで亀裂し、うっかり歩くとはまり混んでしまう危険な道になっていた。平屋建の寮は、幸いにも倒れていなかったので一安心した。しかし、風呂場の浴槽の亀裂、水道からの水が出ない、井戸のポンプの破損など、生活に大きな影響があった。驚いたのは、アメリカ機の空襲が激しくなってきたので、設けた防水用水の水が揺れで流れ出て、半分になっていた。日増しに、アメリカ機B29の空襲が激しくなり、いつ焼夷弾でやられるかも知れない非常事態、日夜続く余震、着のみ着のままの夜が続き、皆ノイローゼ気味になっていた。また、実習農園へ出かけると、地滑りで畠が影も形もなくなっていた。あまりの変わり方に皆唖然とした。尾鷲出身の学友に地震による津波で、家が被害を受けたとの連絡があり、急いで戻っていった。しばらくして帰ってきたが、3mほどの津波で、家は流されなかったが、一階は天井まで浸かり、海水がタンスの中まで入り、大切な衣類は、二度と着られないほど汚れたそうだ。和裁の材料にと、持って帰ってきたきれいな着物の模様は色あせて、見る影もなくなっていた。津波の恐ろしさが想像でき、友を慰める言葉も出なかった。町内の被害状況は知ることが出来なかったが、人の話から亀山城の石垣の崩れたこと、道路の地割れ、田畑が土砂崩れで消失、八幡神社の鳥居が倒れた、境内の被害等知る事ができた。なお、四日市、桑名等の軍需工場の被害があり、その工場に勤労奉仕にきていた、中学校・女学校の生徒の犠牲もあったそうだ。この東南海地震の被害状況は、軍が秘密として、緘口令が出され、外部に漏れることがなかった。終戦後各地の記録から相当大きな被害をだした大地震と言える。あの日から七十年の歳月が流れた。空襲と地震で、日本の国もこれで終わりと思った、学生時代の恐怖に直面した出来事の1つである。記憶の鮮明でない部分もあるが、自分の生命を守るだけが精一杯だった。現在地震災害を最小限に食い止める研究が進められている。海底ステーション(地震計)・地電流の観測・地震予知計画等は喜ばしいことである。しかし、地震はいつ起こるかもしれない。地震の体験をしているからと云って、その通りうまく退避出来るだろうか。予報云々と報道されているが、先ず短時間で行動することが第一番ではなかろうか。判断力により冷静な行動で、1人ひとりの大切な生命を、どうしても守ることの大切を、つくづく思う体験者の1人である。

 

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(伊賀市 廣出 香代)
概要 当時、青年師範学校が亀山にあり、県立師範学校女子部と同校舎で学んでいた。歴史の授業が始まってまもなく、突然二階の床が突き上げられるような激動と共に、校舎全体がはげしく揺れ動いた。30度くらいの傾きのように感じた。皆で「机の下」と叫び合いながら、地震が止むのを待った。揺れがおさまり急いで階段を駈け降りると、亀裂した壁と壁の間が大きく開いていた。途中大きな余震があり、壁が落ちて頭の上に降りかかってきた。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(イガシ ヒロデ カヨ)
概要2 お名前:廣出 香代
ご住所:伊賀市
発生時にいた場所:三重師範学校女子部(亀山)
当時の年齢:17歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 廣出 香代
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県亀山市本町1丁目
コンテンツの撮影場所
タグID 亀山女子師範学校,昭和19年(1944) 東南海地震,亀山市
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

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