①伝えておきたい事(一人でも助かるように)
・高い所へすぐ逃げる
・津波は何度でも来る
②当日の様子
家族で昼食を食べていた時、立ってられない揺れで近所の多くの人が土足で我が家に上がり込んで来た事を思い出されます。その後、皆で裏山の神社に逃げた私は、4ヶ月の弟を背負って、階段を登って逃げた。すぐにその階段も水が上がり山の上に逃げた。その後4回の津波が起こり村の家や建物全部飲み込み、アッという間に村は広場と化した。津波は寄せて来るのではなく、ガッーと地下から一度にせり上がって来るすごいスピードで人も家も何もかも持ち去っていく。山は土煙りが登り、井戸の水が無くなると大人は言っていた。
③その後の生活
地域の寺、学校が避難場所となり、4年生、5年生、6年生と学習していない村人の生活の場と犠牲者の安置場所となっていた。自分の父、祖父は海に出ていたが、舟を置き山伝えに帰宅できた。親戚の多くの方が、犠牲者となり、残された子供達を父母が引き取り20人での生活が始まった。戦争がだんだん激しさを増し、若者がいなくなり、食料がなく、大変な苦労が続きました。
④現在思う事
私の経験が一人でも助かる事に通ずるならとても嬉しい。お話ができる機会を得て良かったです。

タイトル 昭和19年東南海地震 体験手記(津市 糸川 千尋)
概要 家族で昼食を食べていた時、立っていられないほどの揺れで近所の多くの人が土足で我が家に上がり込んできたことを思い出す。その後、わたしは4ヶ月の弟を背負って、皆と裏山の神社に逃げた。
4回の津波が起こり村の家や建物全部飲み込み、あっという間に村は広場と化した。
タイトル2 ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(ツシ イトカワ チヒロ)
概要2 お名前:糸川 千尋
ご住所:津市
発生時にいた場所:度会郡錦
当時の年齢:10歳
公開レベル 公開
出典 みえ防災・減災センター
提供者 糸川 千尋
提供者公開フラグ 公開
原本の保管場所
コンテンツの取得日時 2016年 04月 01日
コンテンツの住所 三重県度会郡大紀町錦
コンテンツの撮影場所
タグID 錦,津波,昭和19年(1944) 東南海地震,度会郡 紀勢町
コンテンツID 昭和東南海地震体験談・証言(手記)

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