災害体験談・証言手記
昭和19年東南海地震 体験手記(津市 宇田 操さん)
昭和19年12月7日お昼前に大地震があった。当時一志実業女学校の寄宿舎にいた私は、大あわてで裸足のまま外へ飛び出した。防火用水の水が揺れでサッボンザッボンとかかってくる中を悲鳴を上げながら校庭の西にある竹やぶに向かってかけ出そうとしたが、あまりにも揺れが大きくて、(ちょうどバスが急停車した時のような)歩こうとしても歩けない。地面にはいつくばり、寄宿舎の屋根を見上げると、屋根は大きく波打ってゆさゆさと揺れている。何とか外の道へ這いながら出てみると、20メートルぐらいに渡って地面に亀裂が入り、その幅は20センチぐらいあった。私の出身地当時は五ケ所町(今は南伊勢町)だが、弟が小学校4年生まで、校舎が高台にあり、その土手から津波が寄せてくるのを見ていたという。学校の下は五ケ所川という川であり、そのそばの道を父が必死で学校へ来てその川を津波がゴーゴーと何度も寄せて来るのを見ていたと聞いた。あとで見たら、海沿いの松林の松が根こそぎ田んぼの中へ運ばれ、舟も田んぼの中にいた。海ぞいの家はひどいことになったと聞いた。
タイトル | 昭和19年東南海地震 体験手記(津市 宇田 操) |
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概要 | 一志実業女学校の寄宿舎にいたわたしは、大慌てで裸足のまま外へ飛び出した。防火用水の水がザッボンザッボンとかかってくる中を悲鳴を上げながら校庭の西にある竹やぶに向かってかけ出そうとしたが、あまりに揺れが大きくて歩こうとしても歩けない。寄宿舎の屋根は大きく波打ってゆさゆさと揺れていた。 |
タイトル2 | ショウワ19ネントウナンカイジシン タイケンシュキ(ツシ ウダ ミサオ) |
概要2 | お名前:宇田 操 ご住所:津市 発生時にいた場所:一志実業女学校 寄宿舎 当時の年齢:15歳 |
公開レベル | 公開 |
出典 | みえ防災・減災センター |
提供者 | 宇田 操 |
提供者公開フラグ | 公開 |
原本の保管場所 | |
コンテンツの取得日時 | 2016年 04月 01日 |
コンテンツの住所 | 三重県津市一志町 |
コンテンツの撮影場所 | |
タグID | 昭和19年(1944) 東南海地震,一志郡 一志町 |
コンテンツID | 昭和東南海地震体験談・証言(手記) |